好きを仕事に!

女子アナ広報室

井上 智惠

2019年 加入


現役アナウンサーたちが様々なジャンルで活躍する株式会社 TALK NAVI。
「女子アナ広報室」初期メンバーが、全体を引っ張るリーダーとなり活躍しています。

今回は、NHK徳島放送局・水戸放送局のアナウンサーを経て、
「女子アナ広報室」の初期メンバーとして活躍している井上智惠さんの一日に密着します。

 

前向きな姿勢で、夢に向かってとにかく進む

 

――アナウンサーになろうと思ったきっかけはなんですか?

 

井上:幼い頃、母がオペラ歌手だったことから影響を受けて、ミュージカルをしていたんです。
見るのも演じるのも好きで、音楽や表現することに熱中していました。

 

ミュージカルの世界は、役に入りきって別人になれる。恥を捨てて色んな人になれることが楽しかったです。

 

そんな経験から、将来は何か表現することを仕事にしたいと漠然と考えていました。

 

アナウンサーになろうと決めたのは中学三年生の頃。
その頃からテレビ画面に映るアナウンサーを意識し始め、それが夢に変わっていきました。

 

 

――アナウンサーを目指していく中でミュージカルの経験が活かされたことはあったのでしょうか。

 

井上:ミュージカルは、“夢や希望”を題材にした演目が多いんです。
そのため子どもの頃から「夢は叶うんだ!」ということをミュージカルで自然と学んでいたんだと思います。

 

将来の夢に向かってとにかく突っ走ろうという気持ちになれました。

 

 

――前向きな姿勢や考え方の原点はミュージカルにあったんですね。アナウンサーを志す中、大学時代はどのように過ごされましたか。

 

井上:大学時代はテレビ局でアルバイトをしていました。
原稿が急に入ってきてもすぐに対応するアナウンサーの姿を間近で見てかっこいいと思ったんですよね。

 

画面で見えない部分を見たことで「アナウンサーになりたい!」という想いがさらに強くなりました。

 

アナウンサーが原稿を読むまでの間、どれだけの人が関わってどんな仕事をしているのか…。
流れが見えたことは、私にとって夢への想いが強くなる経験でした。

 

――アナウンサー試験において大切にしていたことや大変だったことはありますか。

 

井上:とにかく面接をしてくれる方に対していい印象を残すことを大切にしていました。
例えば使い終わったケーブルをちゃんと巻いて戻すというように、細かいところで人柄は伝わると思うんです。

 

もう一つは自分自身の気持ちです。周りから否定的な言葉を言われることもあると思います。
でもそれで諦めてしまうのは本当に勿体ないことです。

 

夢だったら、まずは土俵に立つところまでやってみればいいと思うんですよね。

 

試験に落ち続けるのはもちろん辛くて落ち込みました。
でもそれは自分を否定されている訳ではなくて、会社のそのとき求めている人材に会わなかっただけだと思うようにしていました。

 

同じ波長、雰囲気が合う人がいるとその人が引っ張ってくれる。相性やご縁はあるなと感じました。
同じ波長の人じゃないと働いていてしんどくなってしまうと思います。

 

自分の雰囲気に共感してくれる人って大切だとアナウンサー就活全体を通して強く感じました。

 

 

 

――局アナ時代の一日のスケジュールを教えてください。

 

井上:午前中の情報番組と、夕方のニュース番組を担当していました。
お昼までは番組の出番、午後には翌日の放送へ向けた取材をするために、カメラを持って街に取材へ行くという毎日でした。

 

番組の中に出てくるコーナーの制作・ナレーションを担当するなど、
メインキャスターをしながら一つの番組を作っていたという感覚です。

 

地方局では、アナウンサーがディレクターの役割を果たすのがほとんどです。
自分の出演する機会を自分で作っていました

 

――街へ取材に出て、地域の方と触れあう機会も多かったんですね。街の方に取材をする際に心がけていたことはありますか。

 

井上綺麗すぎる言葉を使わないことです。
特に地方局は方言があるから、あまり綺麗な言葉で話すと壁があるように思われてしまうんです。

 

親しみやすい言葉遣いで、相手がかしこまらないようにざっくばらんに話すことを心がけていました。
相手が話しやすい雰囲気作りと相手に寄り添う姿勢を意識することで、地域の方達とも親しくなれたと思います。

 

 

――局アナの経験を経て、トークナビに加わったきっかけはなんですか?


井上
:樋田代表とは就活時代の友人でした。これからどのようなキャリアを描こうかと考えていたときに、
樋田代表の「積み上げてきたアナウンサーとしてのスキルを、多くの女性が活かせる場所を作りたい!」という想いに共感したんです。

 

地方で経験を積んだアナウンサーが、フリーになるとなかなか仕事がないという状況を何とかしたいと思い、
樋田代表と一緒に「女子アナ広報室」を立ち上げました。

 

――「女子アナ広報室」誕生には強い想いがあったんですね。1日に密着させていただく前に、少し業務内容について教えてください。


井上
:企業の広報担当として、その企業のサービスや取り組みを取材して、
プレスリリースを書いたり、様々なメディアにアプローチを行っています。

 

トークナビに入ってくる方に向けた研修講師や、プレスリリースの書き方指導もしています。

10:00
女子アナ広報室 定例ミーティング
些細な気づきや改善点をメンバーみんなで共有します。
コロナ禍という大変な状況であっても、アナウンサーが働ける環境が整っていることを嬉しく思います。
メンバーそれぞれの考えや嬉しかったこと、達成できたことなどを共有し、
同じ目標に向かってチームで一丸となれる大切な時間です。
12:00
ランチ
13:00
リリース取材・メディアアプローチ
企業様へ取材をしてプレスリリースを作成します。
また、女子アナ広報室のメンバーが作成したプレスリリースのチェックを行うのも仕事です。
アナウンサーならではの取材力を活かして、そのまま放送に出せるような内容にしようと心がけています。
自分の取材によって「何を伝えたいのか」を常に意識して、企業様に寄り添ったリリースを作成します。
16:00
オンライン研修講師
新たに加わるアナウンサーの育成・研修を行っています。
広報アナウンサーの輪を大きくしていきたい」という思いを持って取り組んでいます。
また、学生へ向けた就活セミナーの講師を務めています。
学生とお話をする中で新しい発見もあり、講師でありながらとても楽しく、そして学びながら交流をしています。
18:00
退社・帰宅

「広報=女子アナ」の輪を広げていくために

 

――トークナビのお仕事のやりがいや魅力はなんですか。

 

井上:みんなそれぞれに仕事があって、それを各々がちゃんとこなしているところだと思います。
お互いがお互いを高め合う環境があるからこそ、温かい雰囲気で仕事ができる。

 

また、大企業ではないからこそ自分の考えが通りやすく、改善点をすぐに実行に移せます。
少ない人数だからこそ一丸となってチームで同じ目標に向かって頑張れることも魅力です。

 

 

――井上アナウンサーの今後の目標を教えてください。


井上
:女子アナ広報室を導入してくれる企業を増やしていくことです。

 

沢山の方に知っていただき、価値のあるサービスだと思ってもらえるよう、
アナウンサーの教育や研修もしっかりと行っていきたいです。

 

そしてそれが、広報アナウンサーが増えることにも繋がる。
ゆくゆくは「広報=女子アナ」のような世界になったら素敵だと考えています。

 

軸を作って広げていくために、これかも仲間と一緒に歩んでいきたいです

 

――最後に学生に向けてメッセージをお願いします!

 

井上:いいなと思ったことは何でもやってみてください。
最初は不安でも、やっている間にそれが自分に合っているのか合わないかはわかってくるものです。

 

局アナ時代には失敗も沢山しました。放送が尺におさまらなくて終わってしまうことも・・・。
でも放送は毎日あって、終わりがあるから最後までやり切ろうと思えました。

 

失敗してもいいからとにかくやってみて、その中で学んでいこうという気持ちが大事だと思います。

 

何かを始める前から、「自分には無理なんじゃないか」と考えてしまうのではなく、とにかく前を向いてやってみる
その中で新しい発見が沢山あるのではないかなと思います。

 

 


 

インタビューしたのは

トークナビ インターン 樋田 有紗 Toida Arisa

同志社大学 文学部国文学科にて日本語学を専攻
地元のケーブルテレビに取材されたことをきっかけにアナウンサーを目指す
学生時代は競技けん玉・書道・テニスに打ち込む

 

《取材後記》

井上アナウンサーの明るいお人柄に惹かれ、とても楽しくお話させていただきました。
前向きな考え方や常に前を向いて進む姿勢は、学生として学ぶことばかりで、背中を押していただきました。
取材へのご協力ありがとうございました。

 

 

▶担当したその他の記事はこちら!

好きを仕事に!女子アナ広報室/研修講師 猪崎 新奈アナウンサー

 

プロフィール

井上 智惠

1986年1月27日生まれ
元NHKキャスター

NHKのキャスターとして入局。
東日本大震災や関東東北豪雨、台風など災害取材も経験あり。
ナレーションに定評があり、特番では毎回担当。
NHKにて勤務した約10年間でディレクター業も含め複数の賞を受賞。